冷静と情熱とアイデア

日々考えたことなど

やる気がない、というか書く気が起きない。働く気なんてもってのほか

いや、書く気はあるんだ。現に今ここでキーボードを叩いているのだから。

だけど、書きたいものが出てこない。

昼間のスターバックスでドヤ顔マックブックしながらブログ書こうかなと出てきたものの、どうも今日は乗らない。

 

こんな内容について書きたいな、ということをたまに思いつくと、メモしておくことがある。そのメモを見れば、ああこういうこと書きたかったなあと内容を思い出すことは出来る。だけど、今はそれを書く気が起きない。

 

僕はカラオケが大好きで、ヒトカラこそが最大の喜びくらいな人間なんだけれど、これも歌いたいという衝動が出てこないと行く気にならない。

だから、友達とカラオケの約束をして行くときには、その歌いたい衝動が全く出てこない日にならないかどうか、結構心配なのである。ヒトカラはその心配がないから良い。

 

自分が好きな対象に対してさえ、そんな調子だ。

これが、ただでさえ嫌々行っている仕事となると、これはもう本当に嫌である。

世の中には仕事が楽しくて、行くのがちっとも嫌ではないなんて言っている人もいるが、僕なんかは休みたいと思わない日がないぐらいである。

これは、自分の心身に対して申し訳ないなとこの頃思う。

 

世の中は、ある一定の時間や空間を区切った上で、そこに人間の行動を当てはめるようにしている。

だけど、それは心身の状態がそれぞれ全然違った個体である人間が生きる原理としては、ひどく不自然だよなーと思う。

 

何かやる気になったらそれをやり、やりたくなくなったら止める。それをトータルで積み重ねたほうが長い目で見たら生産性という意味でも高いんじゃないかなと。

ま、そうなったら結局何にもやる気が起きなくてただただグータラするだけになるかもしれないけれど。それならそれで別にいいけど。鬱で自殺者が出てしまうようりは、はるかに良い。