人生に意味があるかは分からないが誰かの役には立つかもしれない
最近、毎日がちょっとしんどい。
しんどい理由は、仕事が辛いというごくありふれたものだ。
職場がブラックなのかというと、そんなことはない。定時で終わるような仕事ではないけれど、精神を病むほどの長時間労働を強いられているわけでもないし、パワハラもない。むしろ、職場の人はプロフェッショナルとして尊敬できる人たちばかりだ。
では、何が辛いかというと、おそらく仕事が自分の特性と合っていない。それで、自分の能力不足を感じ、日々辛い。
僕の仕事は、割と人の人生を左右しかねない仕事で、スキルが求められる。そして、正確さ、スピードが恐らく平均水準よりも高いレベルで求められる。
一方、僕はミスが多い。理解して身につけるのに一定の時間がかかり立ち止まる必要がある。物事をテキパキと早くやるのが大の苦手で先延ばし人間である。
これは、小さい頃からずっと自分の特徴として自覚していたことではある。
だから、この自分の特性と仕事の傾向が合わないのではないかという危惧は持ってはいたのだが、やはりそれが現実化しているな、という感じである。
最近になって、「大人の発達障害」がにわかに話題になってきている。もしかしたら・・と思って何気なくADHDの特徴を見てみると、見事にそこに自分の特徴があった。主に注意欠如の方であるが。
自分の欠点を自覚していたとは言え、これまでの人生で特に困ることはなかった。僕は人間関係には困らない方で嫌いな人があまりいない(これは、もしかしたらむしろサイコパス特性なのかもしれないが・・)。
遅刻をしても、それで致命的な状況になることはなかったし、忘れ物・大事なことの聞き逃しなども友達がサポートしてくれる環境にあった。身につけることに時間がかかることに関しては、8割のことは捨てて2割に集中するみたいなことをやっても特に誰にも迷惑をかけるわけでも無かったから思いきれた。
仕事となると、まあそうはいかない。いや、出来るのかもしれないが難易度が違う。
そんなことで、今僕は、自分の特性との向き合い方を真剣に考えなければいけない場面にきてしまった。
しかし、この特性、今の社会にある大抵の仕事と相性が悪い。だいたいどの仕事も正確さと早さを前提にテキパキと一定水準の出力が求められる。
僕のような人間が、この大変な状況にどう向き合っているのか。そんなことに自然と興味を持った。そして、たくさんググった。すると、同じような境遇の人が、まあ結構いるではないか。しかも、おそらく自分よりもかなり重度だなと思われる人も。
彼ら、彼女らのブログをたくさん読んだ。というか、今も読んでいる。自分がどんな特性を持っているのか、どんな困難にあたったのか、どう対処したのか、できなかったのか
例えば、借金玉さんのエントリなんかは結構読んだ。
それらが、何か具体的な方法として参考になる、というわけでもない。やっぱりそれぞれ置かれている状況が違うから。「勇気付けられる」というのもちょっと違う。
ただ、それを読みながら「あーまさにそれ!」みたいなことを思うたびに、そのたびに、自分の頭にふっと風が吹き込む感じがする。そんな風の影響で、自分の頭の中の空気がちょっとづつ、入れ替わってきている。
こんな日々を過ごしながら、前々から薄々思っていたけれど確信したことがある。それは、自分の、とっても個人的な生の悩みにギリギリと向き合って、のたうちまわること、それを表現することって、かなり人の役に立つんじゃないかってこと。
今の僕にとって、例えば岩瀬大輔氏の『入社一年目の教科書』よりも、仕事無理ぽクラスタのはてなブログのがはるかに役に立ったりする。(多分今の状態で『入社一年目の教科書』系の本読んだら死ねる笑)
自分の悩みを生きることは、きっと似たような悩みを抱える人に、何かしらの風を送ることができる。ま、必ずしもそれがいい風なのかは分からないけれども笑
僕は、彼らの影響で、これから試してみたいことが出てきた。
ブログ書いてみたのもその一つだ。
これからの実験的な日々を、少しづつ綴っていけたらと思う。