日本の生きづらさを逆手にとって
仕事の話、結婚の話など、ライフスタイルに関する文章をいろいろ読んでいる。
その時に行き着くのが、だいたい、日本の生き辛さについての話だ。
他人の目を極度に気にする村社会。それが原因で、手が抜けない、失敗すると自分を駄目だと思ってしまう、結果、精神をやられる。勿論、こんな単純化はできないけれど、だいたいこんなことが書いてあって、他人の目を気にせず自分の人生を歩くメンタルを持っている他国の人たちを見習う的なことが書いてある。
このようなことについて、僕は、まあその通りだなと思う。これまで何とかこの村社会を生き延びてきたが、それは我慢できるだけであって、きついはきつい。さっさと放り出したいのはやまやまである。
ただ、おそらくこの他人を気にする目から来る生真面目さは、日本の治安の良さや、インフラの整備、丁寧なものづくりなど、日本の武器になっているところにつながっている。日本人がスペイン人みたいなメンタリティだったら(スペインのみなさんごめんなさい。僕は好きです)こんな整備された国にはなってないだろう。
まあだから、日本生き辛いなあと思う一方で、そこから生まれるメリットも知らず知らずのうちに享受している。おそらく、何か一つ正しい解があるのではなく、一つの物事は常に良い点悪い点両面あり、どの面をどれくらい出していくかのバランスを取るのが難しいのかなと思う。
ところで、この生きづらい日本であるが、今まで書いてきたように、メリットもたくさんあるわけである。
デメリットは、厳しい他人からの視線だが、こんなのを気にしないメンタリティを身につければ個々人のレベルでは良いとこ取りできるのではないか。
やりたいことをしつつ、最低限死なない物理的な条件は、非常に整っているのだから。
そして、おそらくそういうメンタリティを持てるというのは、この日本においてはなかなか珍しいことであり、身に付けられれば非常に大きなアドバンテージを得られる気がしている。
精神面は、個人レベルで変えていけなくもないだろう。
もっとも、容易だとは思わないが。そんな簡単なら、こんなに生き辛い生き辛い言ってないはずである。
「気の持ちよう」と言われているものについて、もっともっと深める必要がある。
技術的に。
生き辛い日本。これは、チャンスである。